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伊東豊雄|建築家

2013年に建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞。東京オリンピックの新国立競技場のコンペにて最終選考に残ったことでも有名。 そんな日本を代表する建築家であるが、意外なことに初めて公共建築を手がけたのは50歳を過ぎた1991年に発表された、八代市立博物館未来の森ミュージアムであった。その後は「せんだいメディアテーク」や「まつもと市民芸術館」など数々の代表作を発表するなど精力的に活動している。 2011年の震災以降は復興活動とともに、後進の指導にも力を入れている。
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隈 研吾|建築家

2020年東京オリンピックのメイン会場である新国立競技場をはじめ、山手線の新駅、高輪ゲートウェイ、中目黒にある日本初のスターバックスロースタリーを手掛けるなど、現在日本で最も有名な建築家。木・鉄・コンクリート・石・竹や和紙など、素材の特性を徹底的に研究し、建物にアクセントとして生かす。インタビューでも、「自身の建築で最も重視しているのはマテリアルである」と話している。
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原研哉│グラフィックデザイナー

長野オリンピック開・閉会式のプログラムをはじめ、無印良品や、蔦谷書店のアートディレクションを手掛ける現代の日本のデザインの第一人者。ジャパンハウスのプロジェクトも手掛けるなど日本文化に深く根差した仕事も数多く手掛ける。
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DANESE(ダネーゼ)について

ダネーゼと聞くとエンツォ・マーリーがデザインしたティモール(カレンダー)や、AMELAND(ペーパーナイフ)、ブルーノ・ムナーリのデザインした灰皿(CUBO)など、いま見ても美しいと感じるパーマネントなデザインを送り出したメーカーのように思われていますが、その始まりは1957年ミラノにオープンした、一軒のお店でした。
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エリック・ホグランのガラス

1953年ガラス工房、BODA社(現在のコスタ・ボダ)に就職。 BODA社に就職したホグランは、他のガラス作家とは異なるプリミティブなモチーフや、手仕事の跡を残すようにぼってりとした、肉厚なガラス、気泡の入ったガラスなど独特な作風で、ガラス工芸に新しい時代を築いていく。
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ミッドセンチュリー期を代表するデザイナー アレキサンダー・ジラルドについて

ミッドセンチュリー期にアメリカのハーマンミラーで活躍したデザイナーと言えば、先日紹介したシェルチェアのイームズ夫妻、ジョージ・ネルソン、アレキサンダー・ジラルドの3人があげられます。 しかしイームズ夫妻、ジョージ・ネルソンと比べると意外と知られていないアレキサンダー・ジラルド。本日はそんなジラルドにスポットを当ててみたいと思います。
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イームズ シェルチェアの誕生とチャールズの生涯

1950年にイームズより発売された「シェルサイドチェア」。 イームズ、そしてミッドセンチュリーを代表するプロダクトである。あまりにも有名なこの椅子とともに、いま一度チャールズの生涯をおさらいしてみると、様々な人物との関係や、イームズがなぜ世界で初めてFRPを使ったシェルチェアを発表することが出来たのか、その秘密を理解することができます。2003年に発行されたカーサブルータス特別編集「天才デザイナー、イームズのすべて」を参考にまとめてみました。
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コーア・クリント

デンマークを代表する革新的な建築家を父に持ち、幼少期からデザインや建築に触れる。クリントは14歳頃から家具職人として父親をはじめ、カール・ピーターセンや家具作家、ヨハン・ローデのもとで学ぶ。計測に裏付けられたデータや数字に基づく機能主義を唱えたことで知られる。また「リ・デザイン」を提唱。過去の歴史・様式を見直し、それを時代の需要にあうよう再構築することを信念とし、教育を通じ多くのデザイナーに多大なる影響をあたえた、デンマーク家具デザイン界の巨匠。
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